今日は甲子園の高校野球、決勝戦でしたね。
東京都民の私としては、西東京代表の日大三校を応援していました。
大学の学部でも山岳部でも先輩のNさんの出身校でもあるし、Nさんの盛り上がり方も、応援したいな、という気持ちに火をつけました。
でも、結果は沖縄の勝利でした。双方のチームとも、本当に良い試合だったと思います。
負けた日大の選手がみんな泣いていました。悔し涙なのでしょうか、それとも自身のプレイに対する後悔の涙なのでしょうか・・・
グラウンドに膝をつき、手をつき、うなだれで、泣き続ける選手の姿を見て・・・私は幸せな涙だなぁ、と思いました。甲子園のあの場、あのシチュエーションで涙を流せるのは、だれでも経験できるものではありません。時がたって、あの経験を幸いなこととして思い出せるよ、きっと。そう思いました。
声を出して、とにかく泣く、ということは、大人になってしまうとそんなにたびたびあるものでは無いですよね。更年期以降、涙もろくなった私ではありますが、自分の事で泣く、というのは・・・思い出せません。父が亡くなった時、その後は流産した時・・・かな。
泣けるというのは心が開放されることなのかもしれません。
悲しいことはあまたあるけれど、心の中にグッとしまい込んで、泣いたりしないで平静に暮らし続けている。涙も悲嘆も自分の奥深くにしまい込んでいて・・・それが表に出てくることなんてあるのだろうか?
幸せな涙を流した高校生たち、きっとかけがえのない未来へとつながる涙だったことでしょう。
若さに乾杯です。